2016年 11月 21日
ゴッホとゴーギャン展 |
11日は、最愛の男、ディカプリオの誕生日にして、尊敬する淀川長治さんの御命日。
映画を観なければなりません!と常に思う日ではありますが、今年は(も?)しませんでした。本当に映画館から足が遠のいている昨今。いけません。
でも、鑑賞はしました。とてもじっくり。大変有意義な時間でした。
東京都美術館『ゴッホとゴーギャン展』です。
昔は好きじゃなかったこの2人。ゴッホは、その後、ヨーロッパ周遊の際に、アルルやアムステルダムでたくさんの絵やまつわるものを観て、徐々に好きになっていくのですが、ゴーギャンに関しては、タヒチの絵しか知らず、更にはゴッホが可哀相な人生を送る一因になった人という、子供心の勝手なイメージを長らく持っておりました。
大人になって、人間関係の複雑さを経験から想像できるようになった頃に、妙なフィルターはとれまして、それでも、タヒチの絵の良さが分かなかった…、ということもあるのですが、それ以前の絵に合う機会が増えていき、今回の展示で、好き!というか、静かに愛でたいような気持になりました。
壁面に書かれたそれぞれが第三者へ発信した手紙の一文に、切ない気持ちになったりもしながら、一枚一枚観ていったとき、ある角を曲がり込んだ視線の先に、焦がれていた作品がありました。
丁度先月末、母がアムステルダムから帰国し、あの絵はなかったと、かつて19の時にゴッホ美術館で魅了された絵の話をしたばかりでした。
数年前にゴッホ美術館へ行った私も、再開を果たせずにおり、またいつか見ることができるのだろうかと思っていたもの。
思わず口を押えて「ひっ」という感嘆の声を抑えて、たたずみました。
黒い履き古した靴の絵です。全体的にこげ茶、カーキーがかった静物画。
でも、鑑賞はしました。とてもじっくり。大変有意義な時間でした。
東京都美術館『ゴッホとゴーギャン展』です。
昔は好きじゃなかったこの2人。ゴッホは、その後、ヨーロッパ周遊の際に、アルルやアムステルダムでたくさんの絵やまつわるものを観て、徐々に好きになっていくのですが、ゴーギャンに関しては、タヒチの絵しか知らず、更にはゴッホが可哀相な人生を送る一因になった人という、子供心の勝手なイメージを長らく持っておりました。
大人になって、人間関係の複雑さを経験から想像できるようになった頃に、妙なフィルターはとれまして、それでも、タヒチの絵の良さが分かなかった…、ということもあるのですが、それ以前の絵に合う機会が増えていき、今回の展示で、好き!というか、静かに愛でたいような気持になりました。
壁面に書かれたそれぞれが第三者へ発信した手紙の一文に、切ない気持ちになったりもしながら、一枚一枚観ていったとき、ある角を曲がり込んだ視線の先に、焦がれていた作品がありました。
丁度先月末、母がアムステルダムから帰国し、あの絵はなかったと、かつて19の時にゴッホ美術館で魅了された絵の話をしたばかりでした。
数年前にゴッホ美術館へ行った私も、再開を果たせずにおり、またいつか見ることができるのだろうかと思っていたもの。
思わず口を押えて「ひっ」という感嘆の声を抑えて、たたずみました。
黒い履き古した靴の絵です。全体的にこげ茶、カーキーがかった静物画。
私は、星月夜とかカフェやゴッホらしい空に塗られた風景画より、とにかくこの靴に魅了されて、そしてゴッホが好きになりました。
なんだかよく分からないけど、私にとって特別な絵です。
今回再会できて、不思議と、自分の人生にもいろんなことがあったなぁとか、感傷に浸ったひとときでもありました。
近々もう一度、逢いに行こうと思います。
雨上がりの夜だったので、美術館を出た濡れた石畳(畳は言い過ぎかなー)に外灯が映っていて、絵画の余韻が楽しめる帰り道でした。
近々もう一度、逢いに行こうと思います。
雨上がりの夜だったので、美術館を出た濡れた石畳(畳は言い過ぎかなー)に外灯が映っていて、絵画の余韻が楽しめる帰り道でした。
by disegno
| 2016-11-21 20:46
| みる-鑑賞-